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正倉院を見ると、日本にはすでにインドが入っている

結論。正倉院は「昔の日本」ではなく、国際物流の終点である

正倉院を見ると、日本文化を「日本だけでできたもの」と考えるのがかなり難しくなる。奈良の東大寺に残るこの宝物庫には、8世紀の日本の工芸、仏教具、楽器、香、薬、文書が残る。そしてその背後には、中国、朝鮮半島、中央アジア、ペルシア、インド、さらに西方世界まで伸びる交易と文化の線がある。

もちろん、正倉院の宝物すべてがインド製という意味ではない。むしろ多くは日本や唐周辺で作られた。しかし、文様、素材、仏教、香、薬、音楽の体系に、インドを含む広いアジアの流れが入り込んでいる。正倉院は「純粋な日本」の倉ではなく、日本が世界を受け取って自分のものにした痕跡である。

仏教が最大の回路だった

奈良時代の日本にとって、仏教は宗教であると同時に、国家技術、建築、文字、儀礼、美術、医学、音楽を運ぶ巨大なパッケージだった。仏教はインドで生まれ、中国や朝鮮半島を経て日本に入った。つまり日本が受け取った仏教は、すでに中国語化され、東アジア化されたインド思想でもある。

ここが重要。日本はインドを直接そのまま受け取ったのではない。中国や朝鮮半島を通して翻訳されたインドを受け取った。だから日本文化の中のインドは、しばしば「インドっぽい顔」をしていない。漢字で書かれ、寺院建築になり、仏像になり、行事になり、日常の所作になっている。

香と薬はかなり生々しい

正倉院には香木や薬物も残る。香は仏教儀礼の道具であり、同時に高級な嗜好品でもある。沈香、白檀、丁子、乳香のような香りの世界は、インド洋交易やシルクロードの感覚とつながる。

料理で言えば、香辛料の世界とかなり近い。スパイスは食べる香であり、香は食べないスパイスでもある。カレーを作るときにクミンを油で熱して香りを立てる行為と、寺で香を焚いて空間を変える行為は、かなり遠いようで、香りで世界を切り替えるという点で通じている。

文様は移動する

正倉院の文様には、唐風、ペルシア風、中央アジア風、インド的な要素が混じる。花、蔓草、動物、楽器、仏教的モチーフ。文様は人間より軽く移動する。布、箱、楽器、鏡、器に貼りつき、遠い場所へ運ばれ、そこで別の意味を持つ。

日本人が「和柄」と感じるものの一部にも、実は大陸やインドの仏教・西域文様が翻訳されたものが混じる。長い時間が経つと、外来の文様は外来に見えなくなる。これは唐辛子がインド料理で外来に見えなくなったのと似ている。

正倉院はWA-INDOの遠い親戚である

WA-INDOは和食をインド料理に変換する冗談アプリだが、冗談の奥には本当の歴史がある。日本はすでに何度もインドを受け取っている。仏教として、香として、文字学として、美術として、価値観として。

つまり、和食をインド化することは完全な飛躍ではない。日本文化の奥にあるインド系の層を、料理の形でわざと見えるようにしているだけとも言える。

次に読む

仏教経由で日常に入ったインドはお地蔵さんから無常観まで、日常日本に入ったインドへ。密教と言語の関係は空海、梵字、五十音へ。

参考にした事実関係: Shōsōin / Buddhism in Japan