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バターチキンは古代インド料理ではない

結論。バターチキンは「伝統っぽい近代料理」である

バターチキンは世界中でインド料理の顔になっている。赤いトマトソース、バター、クリーム、柔らかい鶏肉、ナン。多くの人にとって「インド料理店の味」はこれだ。しかし、バターチキンは古代インドから続く料理ではない。20世紀の都市外食文化と強く結びついた料理である。

この事実は、バターチキンの価値を下げない。むしろ上げる。なぜなら、料理の伝統は古ければ偉いのではなく、人々が必要とした形に更新され、定着したときに強くなるからだ。

タンドールと残り物の合理性

バターチキンの起源は諸説あるが、デリーのモティ・マハル周辺の物語がよく知られている。タンドールで焼いた鶏肉を、トマトとバターのソースでしっとり戻す。乾きやすい焼き鶏を、濃厚なグレイビーで再生する発想だ。

この発想はかなり合理的である。香ばしい焼きの香り、トマトの酸味、バターの脂、クリームの丸さ、カスリメティの香り。全部が外食向きだ。家庭料理というより、客に一口で「うまい」と思わせる設計になっている。

世界のインド料理店は北インドに偏って見える

日本や欧米のインド料理店では、ナン、バターチキン、サグパニール、タンドリーチキンが目立つ。これだけ見ると、インド全体が小麦とクリームの国に見える。しかし実際には、南インドの米と豆、東インドの魚、西インドの菜食、北東インドの発酵食など、全然違う世界がある。

バターチキンが強すぎるので、インド料理の代表面を取ってしまった。これは寿司が日本料理の代表として強すぎるのと似ている。寿司だけで日本料理を理解できないように、バターチキンだけでインド料理は理解できない。

伝統は作られる

「古いものが伝統、新しいものは偽物」という考えは料理に向かない。トマトも唐辛子もじゃがいももインドには外来だが、今では完全に内部化している。バターチキンも、20世紀の都市料理として生まれ、世界に広まり、インド料理店の標準語になった。

これは伝統が作られる瞬間である。最初は新しい商売料理だったものが、何十年も食べられ、記憶され、店の看板になり、家庭でも真似される。すると「昔からある感じ」を帯びる。

和食で言えばカツカレーに近い

日本で近い例を挙げるならカツカレーだ。カレーも、とんかつも、米も、それぞれ別の系譜を持つ。それが合体して、今では誰も疑わない定番になっている。古代からあるわけではないが、強い。

バターチキンも同じ。タンドール、トマト、バター、クリーム、都市外食、移民と分断の歴史。いろいろなものが合体して、今の「インド料理らしさ」になった。

WA-INDOで使うなら

和食をバターチキン文脈に寄せるなら、こってりした肉料理、唐揚げ、焼き鳥、照り焼き、鶏つくねが向いている。すでに焼きの香ばしさがある料理を、トマトバターソースで包むと説得力が出る。

逆に、刺身や酢の物や冷奴をバターチキン方向に寄せると重すぎる。そういう料理は南インド、ベンガル、スリランカに寄せた方がいい。バターチキンは万能ではない。強いが、使いどころがある。

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北インド偏重を外すなら北インドと南インドの料理は何が違うかへ。近代化したインド料理全体は今のインド料理はいつ今の形になったのかへ。

参考にした事実関係: Butter chicken / Moti Mahal